球技専用に改修 等々力陸上競技場(5/27)

市は27日、等々力陸上競技場(中原区)について、陸上トラックをなくすなどして球技専用スタジアムに改築し、収容人員を約2万7千人から約3万5千人に増やす方針を市議会まちづくり委員会に報告した。現在は陸上の国際大会に使える「第1種公認陸上競技場」の仕様だが、土日の45%がサッカー場として使われており。市陸上競技協会から競技場とサッカー場を別にしてほしいと要望があったという。

市の聖火リレー出発式1万3000人受け入れ 等々力競技場(5/26)

市は26日の市議会文教委員会で、6月30日に予定されている東京五輪の聖火リレー計画について報告した。スタート地点の等々力競技場(中原区)から武蔵中原駅手前までの公道を含む3.2㌔をコースとし、同競技場で開かれる出発式では観覧希望のあった市内学校の児童生徒を含め、収容人員の半数に当たる最大約1万3000人を受け入れる。観覧者の応募は25日現在、899人で、ほかに近隣の小中学校と特別支援学校の計10校から最大3900人が来る予定という。

柔道五輪金の古賀稔彦さん死去 高津区に私塾開設(3/24)

柔道バルセロナ五輪の金メダリストで「平成の三四郎」と称された古賀稔彦さんが病気のため24日、市内の自宅で亡くなった。53歳。引退後は高津区に柔道の私塾「古賀塾」を開いて自ら畳の上で範を示し、市内外の子どもたちに「柔らの心」を伝えてきた。古賀さんは、03~05年の市民文化大使についたほか、昨シーズンのサッカーJ1川崎フロンターレの始球式にも登場した。福田市長は「本市のスポーツ振興にも多大の貢献をされた。これまでの偉業をしのびます」とコメントを発表した。

バスケ天皇杯7大会ぶり川崎V サッカー天皇杯に続く栄冠(3/13)

バスケットボール・第96回天皇杯全日本選手権決勝がさいたまスーパーアリーナで行われ、前回準優勝の川崎ブレイブサンダースが宇都宮ブレックスに76-60で勝ち、前身の「東芝神奈川」として制した2014年以来、7大会ぶり4度目の優勝を果たした。大会MVPには、川崎のジョーダン・ヒースが初受賞した。元日のサッカー第100回天皇杯全日本選手権を制した川崎フロンターレに続く栄冠で、市を拠点とする複数のプロスポーツチームの同一年度天皇杯タイトル獲得は初めて。

川崎フロンターレ天皇杯初V 悲願の2冠(1/1)

サッカーの第100回天皇杯全日本選手権が1日、東京・国立競技場で決勝が行われ、J1覇者の川崎フロンターレが同2位のガンバ大阪を1-0で破り、初優勝と今季2冠を達成した。2度目の決勝の川崎は6度目の優勝を目指したガ大阪に対し、前半から攻勢に出て、後半10分FW三苫が先制ゴールを挙げ、無失点に抑えた。今季はJ1でことごとく上位対決を制し、天皇杯は無失点で頂点になり、クラブ初の2冠を達成、4期連続のタイトルを獲得した。

中村憲剛選手に市民栄誉賞 フロンターレ一筋18年(12/1)

市は1日、今季での引退を表明したサッカーJ1・川崎フロンターレの中村憲剛選手(40)に市民栄誉賞を贈ると発表した。リーグ優勝を決めたフロンターレにはスポーツ特別賞。中村選手は入団から18年間にわたって川崎一筋でプレーし、16年にJリーグ最優秀選手賞を受賞。17、18年の2連覇に貢献してチームを支え、地域貢献活動にも積極的に参加。中村選手の市民栄誉賞は1996年のパラリンピック競泳金メダリスト成田真由美さん、04年の化学者の藤島昭さん以来3人目。

フロンターレJ1最速V 勝ち点・勝利数最多

サッカーJ1の川崎フロンターレは25日、史上最速となる4試合を残して2年ぶり3度目のリーグ制覇を決めた。コロナ禍で観戦機会が制限され、川崎一筋で元日本代表の中村憲剛選手の引退表明があったシーズンは、勝ち点75、勝利数24といずれも過去最多を更新した。この日等々力競技場には、上限いっぱいの1万1360人が詰めかけ、優勝の瞬間、チームカラーの水色で埋まったスタジアムは、静かな歓喜と温かな拍手に包まれた。

野球場予約不正で告訴 偽計業務妨害容疑(11/18)

市の公共施設利用予約システム「ふれあいネット」上で、不正なログイン動作により市民らのカウントが大量にロックされた問題で、市は18日、住所氏名不詳のまま偽計業務妨害の疑いで川崎署に刑事告訴した。7月7~9日、野球場利用者からシステムの操作ができないと問い合わせが相次いだ。システムはログインの際5回パスワードを誤るとアカウントが停止される仕組みで、何者かがログインの失敗動作を約44万回実行した。現在も野球場利用にふれあいネットは活用できていない。

川崎一筋18年 サッカー憲剛引退表明(11/1)

サッカーJ1・川崎フロンターレの元日本代表MF中村憲剛(40)が1日、今季限りでの引退を発表した。オンラインで記者会見し、「35歳の時40歳までと決めていた。終わりを決めていたからこそ、この5年頑張れた」と語った。川崎一筋で18年間プレーした中村は、2203年に中大から当時J2の川崎に入団、技巧派の司令塔として活躍、16年に36歳で史上最年長でJリーグ最優秀選手賞を受賞、17年J1初制覇18年連覇に貢献。日本代表では10年ワールドカップ南アフリカ大会に出場するなど、国際Aマッチ68試合出場、6得点。

災害時活動拠点にも 県内最大級の等々力球場完成式典(10/19)

改築工事が完了した等々力球場(中原区)で19日、完成記念式典が行われた。総工事費は約89億円、両翼100㍍、センター122㍍は県内最大級。人工芝は太陽光の照り返しが少ないプロ仕様。内野席は2層の構造で、芝生の外野席と合わせて収容人数は約9300人、車いす席は約50席。約300㎡の屋内練習場を完備し、2階には応援団らの更衣室や授乳室も新設。外野席下には交流施設「等々力老人いこいの家」が設けられ、防災備蓄倉庫もあり、災害時の活動拠点となる。

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